「ちーちゃん入院日記」![]()
2004/01/29 (木)
今から4年前の3月、ちーちゃんは左踵骨骨髄炎という病に罹り、入院することになりました。
あの頃の私達家族の日々を少しずつ書いていこうと思います。
異変はしゅんちゃんが生まれて2週間が経とうとしていたお正月でした。生まれて間もないしゅんちゃんにかかりっきりの私は、ちーちゃんの異変に気付いてやれず、最初に気付いたのは、同居している夫の父、おじいちゃんでした。
平成12年1月「異変」
ちーちゃんは、その頃なりたてほやほやのお姉ちゃんだった。半月前の12月14日に、私はしゅんちゃんを出産したばかり。
私の入院中は、夫よりおじいちゃんやおばあちゃんと一緒に寝ると言って、お見舞いに来てもすぐに帰りたがり、こちらの方が寂しい思いをしたものだった。
クリスマスの日に退院、二人目なので里帰りもせず、新しい家族を迎えた我が家は沸き立っていた。
そして12月30日、ちーちゃんは3才の誕生日を迎えた。
ちーちゃんは最初、ぐずぐず言ってみんなを困らせた。
新米お姉ちゃんの第一の関門だ。
私だって3年ぶりの新生児相手に必死だったから、上の子を大事にしないといけない・・・ということはわかっていて、それなりにちーちゃん主体にやってたつもりだったけど、ちーちゃんにしてみれば今までとは少し違う暮らしにすぐ順応できるわけもなく、私を弟に取られたような気持ちだったんだろう。
それでも、年が明ける頃には落ち着きを取り戻しつつあった。
ちーちゃんは毎日おじいちゃんと一緒に朝と晩の二回
うちで飼っていた犬「コロ」の散歩について行っていた。
正月も明けたある日、散歩を終えたおじいちゃんが言う。
「おい、ちょっとちーちゃんの歩き方が変やぞ」
ちーちゃんにどこが痛いのか聞くと、左足の甲のあたりを押さえる。
・・・なんだろう、遊んでる間に足でも捻挫したのだろうか。
とりあえず、様子をみることにしたが、何日経っても直る気配がなく、左足を引きずるように歩いていた。
痛がる場所、左足の甲のあたりは、特に腫れもなかった。
整形外科病院へ
平成12年1月15日、足の痛みで踏み込みが利かずふらつくようになる。
1月17日、しゅんちゃんの生後1ヶ月検診が出産した産婦人科医院で行われた。
日赤の小児科の先生が来て診てくれることになっていたので、ちーちゃんが訴える足の痛みが、弟に母親を取られたような気がしての精神的なものなのか、それともほんとにどこか悪いのか、無理なお願いとは思ったけど、ちーちゃんも一緒に連れて行って相談してみることにした。
先生は快く応じてくれ、様子をみた限りではそんなに精神的な原因ではなさそうだから、一度整形外科の病院で診察してもらうといいと言ってくれた。
翌日の1月18日、近所の整形外科病院に連れて行って診察を受けた。レントゲン撮影もしたけれど、特に骨がどうにかなっている様子はなく、原因を特定することはできなかった。
痛がる部分に湿布を貼ってなるべく動かさないようとの指示を受けた。
診察を受けて2、3日症状は変わらなかった。
ただ、昼寝をしている途中、ふとちーちゃんの顔を見たとき、顔の色がまっ青を通り越して、真っ白になっていたことがあって、私は思わず「ちーちゃんっ!ちーちゃん!」と揺すり起こした。
まるでそのまま遠い世界へ行ってしまうんじゃないかと思うくらい、顔色が悪かった。
そういえば、確かにここしばらく冴えない顔色だった。
いったい、ちーちゃんにどんな病気がとりついたのだろうか。不安な気持ちは絶えることなく、だからといって、どうすることも出来ずにいた。
けれど5日後の1月23日、左足の踵のあたりが腫れてきたのだった。そして、再び病院へ。 2004/01/31 (土)
発熱、そして県立中央病院へ
1月29日、次の診察日、腫れが引かないため、抗生剤が処方された。
これで治るといいのにねといいながらも、症状に変わりはなかった。
そして2月1日、風邪を引いて、熱を出したためかかりつけの小児科医院へ。
足のことを小児科で言っても仕方がないかと思いながらも、抗生剤の処方を受けていることと、顔色が悪いということもあったので、これまでの経過を説明した。
先生は、もしかしたら血液の病気ということも考えられるので、もし不安ならば、大きい病院を紹介しましょうと言ってくれた。
それも、出来るだけ早いほうがいいと言われた。
骨が腐る、血液の病気・・・
痛みを抱えているのは、3歳になったばかりのちーちゃんだ。母親がしっかりしなければいけないのに、あの頃の私はおろおろするばかりだった。
4月から幼稚園なのに、ちゃんと通園できるのだろうか。同居している夫の両親も孫の痛々しい姿に心配も並大抵ではない。
けれど、それさえ私には負担だった。不安な気持ちを抱えきれなかった。夫も見えない病気の影に、心を痛めていた。
しゅんちゃんが順調に大きくなり、夜中の授乳こそまだ続いていたけど、ちーちゃんもお姉ちゃんとしての自覚が出てきて、足を引きずりながらもいろいろ世話をしたがって手伝ってくれることが、せめてもの心の救いだった。
2月3日、2ヶ月半のしゅんちゃんをばあちゃんにみてもらい、私はちーちゃんを連れて県立中央病院の門をくぐった。
2004/02/03
(火)
検査
その日は夫も会社を休んで、一緒に病院に行った。
血液検査をするということで、少し緊張して・・・
紹介された先生は、県内の小児科医でも権威のある人で、50歳前後の紳士的な方。
さすが小児科医、子供に対しての目線が一緒でちーちゃんも聞かれたことに素直に返事をしていた。
今までの経過と簡単な問診を済ませ、いよいよ血液検査。
子供の細い血管に針を刺すのは、ベテランの医師でも毎回緊張するらしい。
暴れる子供がいるから、ベッドには特大サイズのマジックテープがついたバンドのようなもので固定して、さらに看護婦さん二人がかりで手と足を押さえる。
そして、親はその場から出される。
時々、泣き叫ぶ我が子を見て、もうかわいそうだからやめてくれと言い出す親がいるからだそうだ。
おとなしくベッドに横たわるちーちゃんを見届け、検査室を出る。夫と二人で耳を澄まし、中から聞こえてくる音を聞いていたけど、結局泣きも叫びもせず、しばらくしたら看護婦さんに連れられ、検査室を出てきた。
「ちーちゃん、かしこかったねぇ〜」
看護婦さんからも私達からも誉められて、得意そうな顔。
結果は、異常なし。
さあ、それではいったいこのちーちゃんを苦しめるこの病気はなんだろう・・・
先生も首をひねり、血液中のばい菌の数を示す値、CRP値が少し悪いようだったから、何かに感染してこうなったのかもしれないとのことで「蜂窩織炎」という、皮下組織に細菌が入り込んで起こす炎症ではないかとの所見がとりあえず下された。
抗生剤の服用を続けるということで、また一週間後に診察を受けることになった。
2004/02/09 (月)
あの頃の私は・・・
あの頃の私は、とにかく出掛けたかったし、出掛けて済まさなければならない用事もいろいろあった。
ちーちゃんの入園準備で作らなければならない袋物。作るのはまだ先だとしても、布地だけでも買っときたかった。入園式のスーツも新調したかった。
しゅんちゃんの出産祝いのお返しも、まだ全員に届けることができていない。
しゅんちゃんのミルクの時間の合間を縫って、ダッシュで買い物に出掛け迷う暇なく買い物を済ませうちに帰る。
足の痛みのためぐずり気味のちーちゃんも待っている。
いくら同居してばーちゃんに見てもらってるといっても、ゆっくり買い物してる余裕はなかった。
焦りといらだちの中、ちーちゃんの足の様子がよくなる兆しもない。
ちーちゃんにしてみても、走り回って遊びたいだろうに、外に連れ出して気晴らしもさせてやりたいけど、ちょうど季節は冬まっただ中。
少し気温が上がった日の午後、しゅんちゃんも眠っている時に、おんぶして少し外を散歩したら、近所の子が走り回って遊んでいた。
走り回れないちーちゃんが、かえってかわいそうになり、すごすごと家に引き返す。
そんな日々の繰り返しだった。
2月10日、2回目の中央病院。
特に変わったこともなく、飲み薬を続けて下さいというだけ。
少しでも快方に向かえば安心なんだけど、変わりなくしょんぼり・・・
13日、私が風邪を引いて熱を出し、続いて15日の夜遅くしゅんちゃんとちーちゃんも発熱。
16日に行くはずだった幼稚園の入園前周知会は欠席することに・・・。
ふたりを近くの小児科に連れて行った。
しゅんちゃん、熱は高いけど、ミルクの飲みはよかったので、ひと安心。
だけど、抗生剤を飲み続けてるにも関わらず、高熱を出してそのせいかどうかわからないけど足がパンパンに腫れているちーちゃんの様子を見て、小児科の先生も首をひねるばかり。
19日には、抽選で当たった「おかあさんと一緒」のコンサートが待っている。せめて、そのコンサートには連れて行ってやりたい。
2004/02/15
おかあさんといっしょコンサート
2月18日、相変わらず熱はあるけど、元気は出てきた。
2月19日、コンサート当日、微熱程度。
いつもだったら、熱が出た後の人混みの中へ出ることは大反対のばーちゃんが(まあ当然なんだけど)、「折角やし、連れて行ってやったらええのに」と言ってくれたので、心置きなく行くことに。
でも、2日前に40℃の熱を出しているから、ちーちゃんにもよく言い聞かせる。うれしいかもしれないけど、おとなしくね。
しんどくって、はしゃぐどころじゃないかもしれないけど・・・・。
夫の姉とその娘、いとこのさっちゃんも一緒に4人で会場へ。もちろん、ちーちゃんはおんぶして行った。
子ども達はハイテンション。
私達大人も、わくわく。
幕が開いて、お姉さん達が出てきた時、きゃーーっって喜んでたのは、むしろ私達だった・・・。
このコンサートには、ほんとに連れて行ってやってよかったと思った。とにかく、チケットの競争率が高くてなかなか手に入らないらしい。たまたま、その時は2枚応募した内のひとつが当選したんだけど、10枚出してもだめっていうこともあるらしい。
ほんとにうれしそうで、最近お出かけもなく、家の中ばかりで過ごしているちーちゃん、いとこと一緒に大盛り上がり。
後日放送されたコンサートはビデオに撮って、すり切れるぐらい何度も何度も見たものだ。
次の日はやっぱり再び熱が出た。だけど、あんなに楽しそうだったんだから、行かせてよかったと思った。
2月22日、中央病院の診察日。
この日、再び血液検査とレントゲン撮影。
治りが遅いけど、検査の結果は前回と変わらず。
経過をみるしか方法はないからと、また一週間分薬をもらって帰った。
いい先生にみてもらっているし、良くならないからと言って私には他にどうすることもできない。ただ、もらった薬を欠かさず飲ませるだけ。この薬も苦いみたいで、飲ませるたびに大騒ぎ。それでも、飲んだら良くなるからがんばってと言い聞かせ、飲ませる。
毎日相変わらずお出かけもなしで、小さいしゅんちゃんにちょっかい出しては叱られる日々。
甘えたれ声でしゃべり、指くわえて、表情も暗い。
週末、私のスーツを買うためデパートへ。ちーちゃんも風邪が一段落ついたし気晴らしになるだろうからと、しゅんちゃんには留守番してもらって、夫と3人で出掛けた。
私がスーツを選ぶ間、屋上のゲームセンターで遊んでもらった。いつも、我慢しているからと、夫はいろんな遊具に乗せてやった。そこにはボールプールがあり、ちーちゃんはそこで遊びたがった。足が痛いし、安静にと言われていたけど、目の前にこんな楽しそうな遊び場があるんだからと夫は入らせた。そしたら入った瞬間痛い方の左足を踏み込んでしまったらしく、しばらく固まって動けなかったという。
何分たっても動こうとしないので、夫が引っ張り出してちーちゃんに聞くと、「痛かった・・・」
後になってわかったことだけど、骨髄炎という病気は骨の奥の部分から複雑骨折していくようなもの。この時のちーちゃんの足へかかった衝撃は、骨折している足で踏み込んでしまったのと同じようなことだったのだ。
こればかりは、後から夫とふたりでかわいそうなことをしてしまったと、反省することしきりだった。
あの時、痛くて痛くて動けなかったのだ。
泣くわけでもなく、ただ困った顔をしてじっとしていたそうだ。
痛みは泣くほどでもなく、疼痛が続くと言った感じなんだろうか。
いったいいつになったら快方に向かうんだろう・・・
私達はどうしてやったらいいんだろう・・・。
そんな中、2月もそろそろ終わろうとしていた27日、じーちゃんとばーちゃんが毎年恒例の「釣り」に行くことになり、昼間私とちーちゃんとしゅんちゃんの3人だけで過ごすことになる。
じーちゃんとばーちゃんは、四国の南端、足摺岬の近くで車で寝泊まりしながら、2日ほど夜釣りを楽しむ予定。
そう、その頃は3人だけではなかったのだ。犬のコロがいた。
朝晩、ちーちゃんが一緒に散歩に行っていたコロだ。
じーちゃんがいないので、朝晩のコロの散歩は夫に行ってもらいたいところだったけど、仕事の都合で私が行くことになった。
2004/02/26
入院
2月28日、じーちゃんとばーちゃんが出掛けた翌朝。
洗濯物や朝食をちーちゃんと一緒に済ませ、しゅんちゃんがまだ眠っていたので、その間にコロの散歩に行くことにした。
ちーちゃんには、「お母さんはコロの散歩に行ってくるけど、すぐ帰ってくるからテレビを見よってね。もし、しゅんちゃんが起きたら、よしよし言うてやってね。お願いよ。だっこしたり、おむつ替えたりせんでもええよ。おかあさんは、すぐ戻ってくるんやからね。こたつの上のポットも絶対さわったらいかんよ。やけどするよ。」
まかせといてと言う表情でうなづくちーちゃん。
しゅんちゃん、起きませんように・・・と、祈りつつ、コロを引っ張って走る。
「コロごめん、超短距離コースで許してくれっっ」と、コロに言い、それでも家を出て帰り着くまで5分はかかっただろうか。はあはあ息を切らしながら家に着くと、しゅんちゃんの泣き声が・・・
ああ・・起きてる・・・
ちーちゃん、何もしてないかな・・
いつから起きてるんだろう・・
とにかく、2階へ走る。
「ちーちゃんただいま」
・・・・・・・・!?
そこには、山盛りの粉ミルクにお湯を注ぎ入れたばかりの哺乳瓶を持ったちーちゃんの姿が・・・
「しゅんちゃんが起きて泣いたんやけど、かーちゃん呼んでも帰ってこんけん、ちーちゃんがミルク作ってあげた!」
立派に仕事をやり遂げた誇らしげな表情のちーちゃん。
私は絶句した。
「ありがとう、ちーちゃん。でも、ポットはさわったらいかんて言うたやろ。」
「うん、でも大丈夫。いつもかーちゃんがやっとるみたいにしたけん。」
私の母乳だけでは足りなかったので、いつもミルクを足していた。
いちいち1階の台所に下りて行って作るのは真夜中のこともあり面倒なので、部屋にもポットを置いて、ミルクを作れるようにしていた。
まず、哺乳瓶にお湯を3分の1程注ぎ、そのあと規定量の粉ミルクを専用のロートを固定させて入れ、軽く哺乳瓶を振って溶かし、その後お湯を再び注いで振り混ぜるという手順でいつも私が作っているのをちーちゃんも横から見ていた。
時々やりたがったので、粉ミルクの缶からスプーンで粉ミルクをすり切り一回分、専用のロートを使って哺乳瓶に入れるのを手伝ってもらったことはあった。
でも、ポットには絶対触らせなかった。
ミルク用にぬるめの温度設定にしているとはいっても、しつこく触っちゃダメだと言い聞かせていた。
今回は無事、やけどもしないで哺乳瓶にお湯を入れることは出来たけど。
片足でけんけんしながら、少し高いところにおいてある粉ミルクの大缶を下ろし、お湯はこぼして、粉ミルクは規定以上入れ、そのへんにまき散らしていたけれど、ほんとにほんとに、この時ばかりは、もうそれ以上叱れなかった。
わずか5分いなかっただけだけど、大変なことにならなくてよかった。
あのミルクが私が帰るのがもう少し遅かったら、しゅんちゃんの口に含まれていたのだろうか・・・。
いろいろ考えたけど、何よりちーちゃんが弟のために痛い足をがまんしてがんばったこと、そのことが一番胸にしみて、私は涙が止まらなかった。
その夜、じーちゃんとばーちゃんは帰ってきてちーちゃんの"事件"を報告するとやはり絶句していた。。。
翌日の2月29日は中央病院の診察日。4年前、あの年も閏年だった。
ちーちゃんを連れて病院へ行く。
寒い日だったけど、いいお天気だった。
診察室に入りちーちゃんの足を診てもらう。
そして、なお変わらぬ足の状況に担当のM先生はこう告げた。
「お母さん、入院しましょう」
2004/02/29